泥沼の5連敗からついに脱出。
後期5節はブルーイーグルスをホームに迎えての一戦でした。
ウチは5連敗、前期では1ー2でイーグルスに敗れている、この試合負ければ一気に降格圏内に入る。
色んなプレッシャーを背負いながらの一戦だったと思います。
まず前半5分で失点、11分には同点にするも25分に2失点目。
どうしても失点が止まらない。今までと同じような展開。
だけど僕にとって前半は好感触でした。確かに1点ビハインドではあったけどなんとなく勝てる気はしていました。みんなのパフォーマンスも悪くなかったし、必ずチャンスはくると。
ポジティブな状態で後半へ。
だけどなかなか点が入らない、明らかに相手よりも多くのチャンスを作っているのに決まらない。
という展開が続きましたが、後半終了間際に2点奪取し劇的な逆転勝利。
試合直後の感覚では、残り10分で2点取り返したと思っていたんですが、実際に得点したのは89分と92分。
まさか3分で逆転しているとは思わなかったし、1試合を通じてここまで感覚がズレていてるのは初めての経験でした。
試合直後は狂ったようにみんなと喜びました。
まるで優勝したかのような。だけどそういうのって大事。
この勢いに乗ってイケイケな状態を次に繋げるのが外人の凄さであり強さでもあると思います。
残り6試合は全て勝って必ずファイナルへ行くこと。
下克上を起こして2年連続グランドチャンピオンになることが今シーズン達成しなければいけない仕事になりました。
さて、話は変わりまして。
ついさっき、動画サイトで久々にワイドナショーを1本分見ました。
短距離界のレジェンドの1人である末次慎吾さんがゲストで出演していて、自分が子供たちに「走る」ことを教える機会があったことを話されていました。そこで印象的だったシーンがあります。
「やっぱり教える側の自分も楽しまないといけないなと。走り方とか速く走る方法よりも、走ることの楽しさを “教える” のではなく “共有すること”が子供たちにとって一番大事なんだと思います。」
言葉はだいぶズレていますがこういう内容を番組内で話されていました。
僕もこのブログで、特に今年に入ってからは「サッカーを楽しむ」という軸を立てて基本的には記事を書いてきたつもりです。
あー、結局はどの競技も同じなのかもしれない。
あるいはもっと大きな枠組みで考えられることなのかも。と
そう思ったシーンでした。
これはスポーツに限った話だけではないんです。
教育や指導に関してもそうなんですよね。
同番組内でコメンテーターとして出演していた国際政治学者の三浦瑠麗さんが1つ例えを出していて、
「受験を控えた子供が勉強している横にその子の母親がいるのを見たことがあるんですけど”どうしてそんなのもできないの”と言っている。この言葉から子供は一体何を見出せばいいのか」という内容でした。
そうなんです。
想像してみてください。自分の子供にですよ。
「なんでそんなのもできないの。」
なんかちょっと怖いです。
何で出来ないのって。出来ないってことが事実であり答えなんだからそれ以上でも以下でもないんです。知らないんだから仕方ないんです。
自分がわかってるなら答えに近づけるように導いてあげればいい。
同じ時間を共有しているはずなのに共有出来ていないんです。
それが出来るように、あるいは世の中ではやらないほうがいいよと言われることをやらないように、導いてあげれていないことは大問題です。
自分が出来るから、あるいは自分が若い頃は出来たからとか。
そういった過去の栄光というか自負を自分より下の世代に押し付けてしまっていることは、「古い考え方」というより
「これからの時代の流れについていけなくなる」人間になってしまうような気がします。
確かに、勉強することに楽しさを覚えることは誰でも出来ることではないでしょう。だけど、末次さんが言うように
自分が持っている経験や知識を共有してあげることはとても大事です。
それを上手く伝えることが指導者や教育者には必要なんだと思います。
なぜ走ることは楽しいのか。
勉強するとどんないいことがあるのか。
楽しむことが何故重要なのか。
比べてみましょう。
「なにそんなとこでミスしてんだ。」
と言っている監督と
「ミスはいいから切り替えは早くしよう。」
という監督。
凄くシンプルですが、単純に受け取る側にとって
どっちの方がポジティブでいられるか。
こういった根本的な部分を僕ら大人が直していかないとダメです。
子供たちが直すんじゃない。大人たちが自分たちを見直すんです。
「教える」ではなく、「伝える、導く」それが教育や指導の本質なんだと思います。
そんな考え方は時代遅れ。
もしそのような言葉を耳にしたら、それを共有させるんです。そういう時代に生きてきて今まで頑張ってきた人が活躍しているのも事実ですからね。
古い考えにはそれなりの良さだってあるわけです。
楽しいことばかり選んでやっていける人間は極わずかだと思います。楽しむために苦労している人もいるはずです。犠牲を払わなきゃいけない時もあります。
その苦労や犠牲は楽しむのためのもの、あるいは
その苦労や犠牲さえも楽しく感じられる。
そんな人間に僕はなりたいです。
そしてそれをどんどん伝えていきたいと思います。
今年のオーストラリア生活も残り2ヶ月半分。
楽しみますよ。
Aspiration Ticket
美濃村 慶太