美濃村慶太

「フットーク ~行脚~ 第二弾」今井慧×丸山龍也×小場石朗×美濃村慶太 Vol.1

大変長らくお待たせしている「フットーク ~行脚~」ですが、第一弾での大津選手との対談からり遠ざかった更新になってしまいました。

申し訳ありません。

 

この第二弾は昨年の10月に行ったもので、4人での対談となりました。まずは忙しい中、合間を縫って集まってくれた3名のゲスト様に感謝申し上げます。

 

そして撮影を手伝っていただいたカフェ,シティラウンジさんのスタッフさんにもご協力いただきました。(残念ながら2017年12月で閉店済)

 

それでは「フットーク~行脚~第二弾」3名のゲストをご紹介しつつ、本文へ移っていきます。(尚、長文になりますので前編、中編、後編に分けて随時アップしていきます。)

 

 

・今井 慧 : いまい けい  (以後、ケイさん)

「大人になってから学ぶサッカーの本質」ブログを運営。

 

自身の多彩なサッカー経験から、鋭い観点で本質を追求し続けている蹴球人。サッカーの本質だけでなく、それを中心とした日本の教育現場や指導者の在り方など、独自の観点で繰り広げられる文章には引き込まれます。

 

大人になってから学ぶサッカーの本質とは

 

・丸山 龍也 : まるやま りゅうや (以後、マル)

通称マル。こちらもまた異色の経歴を持つ蹴球人。一般の人からしたら信じがたい、あるいは非現実的な経験をしてきたサッカー放浪者(既に引退)。壮絶な人生を送ってきている25歳、その経験から語られる話は笑あり涙あり、そしてなんでもあり。

 

 

・小場石 朗 : こばいし あきら (以後、コバ)

彼と僕との出会いは一昨年の1月頃。アデレードサッカー生活2年目の僕の前に突如現れた蹴球人。この4人で現役なのは僕とコバの2人。そのサッカーインテリジェンスでチームを引っ張り、昨シーズン、自身のチームを昇格へと導いた小さなヒーロー。 

 

 

※最初はそれぞれの経歴を聞いていったりしていったのですが、丸山くんを筆頭に話がどんどん脱線していきます。笑   それもまたリアリティーがあって僕は気に入っているのでそのまま書かせていただきます。

 

 

ミノ : それでは、今日はみなさんお集まりいただいてありがとうございます。今日はインタビューっていう形になってますけど、各々の意見とか経験をどんどん語っていって欲しいと思ってます。それでは、まずはケイさんの経歴を教えてもらえますか?

 

ケイさん : 俺は横浜商科大付属高校のサッカー部出身。今、松本山雅でプレーしている田中隼磨くんが一個上にいたかな。俺が居た時はまだ男子校で、卒業して2年くらい経ってから共学になってたかな。

 

マル : 横浜でもちょっと田舎の方ですよね?電車乗ってて、あー緑が増えてきたなー。くらいのところじゃないですか?

 

ケイさん : そんな感じのところだね。桐蔭横浜大学ってとこ。当時の監督が風間八宏さんだったんだ。

 

ミノ : それが書いてある記事は最近読みました。確か最初は部員たちに指導しなかったんですよね?

 

ケイさん : そうそう、実は俺もサッカー部を辞めてから知ったことなんだけどね。

 

マル コバ : え、それどういうこと?

 

ミノ : 風間さんは、「主体性を持った選手」にしか指導する気が無かったから、部員が練習してくださいって頼み込むまで全く練習を見なかったらしいのよ。

 

マル : へえー。仕事しろよって思いますけどね。笑

 

ミノ : いやそりゃそうだけど。笑  でもやっぱりその「待つ」っていう行動1つも仕事の内なんじゃない。

 

ケイさん : サッカー批評かなんかに載ってたね、たしか。

 

マル : 俺がサッカー始めた頃、親に買ってもらった「風間八宏の上手くなるサッカー」ってやつに確か、協力:桐蔭横浜大学のサッカー部ってなってたんですよね。

 

ケイさん : あー、あるね。

 

ミノ : それは本じゃなくて動画?

 

マル : いや、なんていうかサッカー龍門みたいな。写真がいっぱい貼ってあって。そのシーンが切り取ってあるみたいな。子供だったから単純に「あ、この人たち(桐蔭横浜の選手たち)ってサッカー上手いのかなー」って思ってたんですけど、大人になるに連れてそれが根拠になるわけじゃないってのがわかってきましたよね。笑

 

ミノ : まあそうだよね。笑   それでは、経歴の続きをお願いします。

 

ケイさん : 大学に入る前の話なんだけど、当時のコーチの推薦で卒業後に横河FC(現: 東京武蔵野シティFC)で3ヶ月くらいサッカーやらせてもらって。その最中に当時風間さんの下でコーチをやってた八代さんっていうコーチと繋がって、桐蔭横浜大のサッカー部に行くことになったんだよね。セレクションもあったんだけどね。10人くらいだったかな。

 

そのセレクションには、今ドリブルデザイナーやってる岡部も居たんだよ。

 

ミノ : あー!岡部さん居たんですね。ケイさんと岡部さん仲良いですよね。

 

ケイさん : 仲良いよ!最近は全然連絡取れないけどね。笑  

 

ミノ : だって、メディアに出始めてから忙しくなるまでが物凄いスピードでしたもんね。。

 

ケイさん : もう半年以上先じゃないと予定が空かないって言ってたよ。

 

ミノ : メディアに出始めてから忙しくなるまでが物凄いスピードでしたもんね。この前、ネイマールとプレイしてましたよね?ドリブル極めたらだけでそこまでいけるの!?って純粋に思いました。極めるってこういうことかって。

 

コバ : マテラッツィともプレイしてましたよ。岡部さん、「殺気感じる」とか言ってましたよ。笑

 

ミノ : 間違いないよね。 一方で、もっとガチな大人とやるシチュエーションで岡部さんを観てみたいっていう声もありますけどね。最近のFacebookで岡部さんがFリーグに所属してるフットサルチームに混ざって試合してるのみたけど、全然やれてて、やっぱすげえなって思った。上手かった。

 

マル : あ、上手かったんだ。全然ダメだったんじゃないんだ。笑

 

ミノ : ケイさんは岡部さんと大学入学時に出会ったのはサッカーを通じてじゃないですか?当時はどんな感じだったんですか?

 

ケイさん : ドリブルオタクだったよね。笑  もう本当にオタク。

 

ミノ : なるほど。笑  その時点で既に。だったんですね。それじゃあ続きをお願いします

 

ケイさん :大学サッカー部自体は2年時の途中までだったんだよね、ヘルニアになっちゃって。リハビリもしたんだけど手術もすることになって、それでも治らなくて。それでもっかい手術してリハビリ一年くらいしてたんだけど、もう元に戻らなくて。その時に、サッカーのコーチの話を薦められて。で、最初に指導したチームがスエルテっていうとこだったんだ。だから在学中にコーチとして働いていた感じだね。

それから、現場の色んな問題を目の当たりにして、「これはやべーな」って。これはまずいぞ日本サッカーって感じて。で、怪我を負ってから、これからプロの道目指すのは難しいって思って、それだったら指導者の方を勉強していくかってなったんだよね。それから、どうせ指導者の勉強するならサッカーの強い国に行こうと思って。元々アルゼンチンとか凄い好きだったから。ヨーロッパも強いけど、日本人と比べて身体がデカイからそこにはヒントないだろうと思って。日本人の体型から考えたら南米かスペインがいいなって思って、それでアルゼンチンで指導者の資格を取ろうってことでスペイン語を勉強してたんだよ。

スペイン語を勉強しながら現地で指導者の旅してたんだけど、普通に生活しててヘルニアが再発しちゃって。痛くて歩けなくなっちゃったんだよね。

 

ミノ: 普段の生活でヘルニアが再発したんですか?やっぱり怪我って怖いですね。。

 

ケイさん:アルゼンチンは医療指数が低いから安い病院しかなかったんだよね。笑  また治すために一旦、日本に一年くらい帰国した。

 

その時にもうさすがにお金が底をついてて、その中でやれることはコネクションを作ることだった。高校の先輩が某企業(KDDI)で働いてて、そのつてで一旦サラリーマンになったんだよね。

 

ミノ: 平坦な道のりじゃないですね!引退してからもやっぱりヘルニアは付きまとっていたわけですね。

 

ケイさん: 仕事が仕事だからねー。指導者ってやっぱり立ち仕事だし。

 

マル: 俺も、靭帯切れてる時にC級ライセンス取ろうと思ったんですよ。けど膝怪我してるから実技が出来ないってなって、ダメって言われたんですよ。

 

コバ: あれ、実技って結構身体動かすもんね。

 

マル: ですよね。でも日本には歩けなくてもそういったライセンス持ってる人がいるじゃないですか?だから俺聞いたんですよ、「え、じゃあそういう人達はどうやってライセンス取ったんですか?」って。真面目に。そしたらなんか「いや、そういうことじゃなくて…」ってはぐらかされて。結局取らせてもらえなくて。まあ、でも俺もその時に食ってかかったのは悪かったです。笑

 

ミノ: なるほどねー。いやーでもなんでだろうね。説明する方もちゃんとした理由をつけられないのかな?

 

マル:「彼は元々上手いからー」ってその時は言われた気がします。笑

 

ケイさん: 実技ってどんなことやるの?なにするの?

 

コバ: 二人でペアになって、一人がメインコーチになって、もう片方はアシスタントコーチになって、その二人のトレーニングメニューに従って、受講者たちがメニューをこなすっていう感じですね。

 

ミノ:どうなんだろうな。指導者ライセンスを取得する上で、他のやり方って無いのかな。ずっとこういうやり方なのかな?

 

ケイさん:海外でのライセンス取得ってなると、どうなんだろう。怪我して実技が出来ない代わりに、じゃあこれやれば取らせてあげるよ。っていうものは提供してくれるのかもね。

 

ミノ:もし今、日本がそうじゃないんだとしたらいずれそうなって欲しいですね。

 

マル: アルゼンチンのライセンス持ってる人ってあんまりいないですよね?

 

ケイさん: いないね。エスペランサっていうチームはアルゼンチンにライセンス取りにいかせてる。選手やってた子が指導者になりたいって言った時には。

 

マル: アルゼンチンの指導者は俺好きですね。パッションというか、あんまり「教える」ことはしないで、雰囲気だけで伝えて後は子供たちにやらせるって感じ。

 

ミノ: なるほど、ありがとうございます。じゃあ次はコバの経歴を教えてもらおうかな。実はあんまり良く知らないからね。

 

コバ: 俺は成立学園出身で。一個上に大津選手やマイケルジェームス選手とかがいましたね。それで、行く大学決める時に、当時ヴァンフォーレ甲府の監督だったのが大木さんだったんだけど、俺はその人のサッカーが凄く魅力的に感じてたんですよ。それで大学は山梨学院大を選んで。その時はまだ全く強化されてなくて。俺らはその山梨学院大サッカー部を強化しようっていう中での一期生だったんですよ。

 

当時は東京都三部リーグとかに所属してて、でも2年で東京都一部リーグまで持っていって。結局四年の間に関東リーグは上がれなかったんですけどね。大学卒業間際になって、まだサッカーやりたかったから進路を悩んでて、当時アミティエ(現:おこしやす京都AC)が合同セレクションやってて、そこに参加して。そしたら鈴鹿ランポーレ(現:アンリミテッド鈴鹿FC)に入団出来たんです。そこで1年サッカーしましたね。その次の年に、当時JFL1年目だったアスルクラロ沼津に入りました。で、沼津に入って初めて自分の実力を知りましたね。試合にも全然出れなかったし、メンバーにたまに入るくらいで。

ミノ: その時のポジションは?

コバ: サイドバックでしたね。

ミノ: 今ではチームでボランチやってゲームメーカーやってるのもんな。

マル: あ、そうなんですか?山田暢久さんみたいですね。

コバ: そう、オーストラリア行ってからボランチ始めた。

ミノ: 今ではチームの核だもんな。コバはまだこれからある2017シーズンのステイトリーグのMVP候補ですからね。

ケイさん: へぇーやるねぇ。すごいね。

コバ: 沼津で力の限界を感じた時に、英語圏でサッカーやりたいなって気持ちが少しあったんですよ。沼津は1年でクビになったから、当時は海外に行く準備もお金も無くて。で、1年間JAPANサッカーカレッジに行きました。

マル: あれですか。学生のようで学生じゃないやつですよね。

コバ: そう、それ終わってからアデレードに乗り込んだんだよね。

ミノ: オーストラリア来て初日から風邪引いてたもんな。笑

コバ: オーストラリア来る前に日本で風邪引いちゃってたんですよ既に。笑 オーストラリアは真夏なのにジャケット着てましたからね俺。

ミノ: 風邪引いたまんま乗り込んできてたのね。笑  ちなみにアデレードで一回入院もしてるよな。笑

コバ: そんなことありましたね。笑  アデレード来て数ヶ月経ったくらいにまた体調崩して、もうしんどさが我慢出来なくて、週末の試合終わった後の次の月曜日に病院行ったんだけど、祝日だったから緊急のやつで行って。点滴打ってちょっと良くなってきて、しばらくして病院の先生来たから帰れるかなって思ってたらいきなり口開けろって言われて、そしたら「これ、扁桃腺カットした方がいいよ」って言われて。笑 そこから手術が始まって。手術中とかI Phoneのライト使ってましたよ。

マル: 海外の病院は嫌ですよねー。俺もスリランカで全身麻酔をした時に、麻酔だから同意書書かなきゃいけなくて、スリランカの文字ってカタツムリみたいな字だから何もわからんけどとにかくサインしましたよ。笑

ミノ: おっけい、こばいしありがとう。じゃあ、マルの経歴を聞いていこうか。異色だから楽しみだわ。

マル: 俺の話は経歴が全てですからね。笑   まあ、中学とかも強豪ではなかったし、彼女出来たら練習来なくなるような奴でした。で、ある日親父がブラジルサッカー留学に行こうみたいなの見つけてきて、そのまま中学生の時に行ったんですよ。で現地に行ったら、小4から30歳くらいまでの奴がゲームやってるんですよ。で、大人は子供に抜かれたくないから、子供でも御構い無しに引っ張ったり肘打ちしたりしてるんすよ。笑  もちろん俺も吹っ飛ばされて。これがブラジルの街のサッカーなんだなって、まずそこで1つ学びましたよね。で、高校生になったらもう一回ブラジル行ってトライアウト受けたいなって思ってたんですけど、まあ色々な問題があって結局ベトナム行くことになったんですよ。笑

 

それから2010年。自分を売り込むためにベトナムに行ったら福島県にあるJビレッジみたいな施設があって。そしたらその施設を何人もの黒人達が囲ってるんですよ。なんでかって聞いたら、みんな代理人に騙されてベトナムに飛ばされて、帰れなくなってたんですよ。笑

ミノ: 凄いねそれ。笑   その選手達とはどんな話をしたの?

マル: 俺が日本人ってわかった段階で「お前、知り合いにJリーグの関係者いるだろ?紹介しろ。」とか言われて。笑  みんな自分のプレービデオ持ってたからそういう準備は出来てるんですよ。がめついですよね。でも外人でちゃんとした代理人を通さないでアマチュアから頭角を現す奴ってこうやってプロになるんだろうなって思いましたよ。

ミノ:なかなか出来ない経験だよね、それも。ベトナムのサッカーはどうだったの?

マル: 当時の印象は全然上手いやついなかったですよ。グラウンドもほうれん草みたいな芝生だったし決して良い環境ではなかったですね。その大勢でトライアルみたいなのしてたらどこかのチームのオーナーが出てきて、通訳してもらって聞いたら「うちのチームは、デカくて、強くて、速くて、黒いのが欲しい。」って言われたんですよ。笑   俺なんか、ちっちゃくて、線が細くて、足も遅くて、色白くて金髪。俺ダメじゃんってなって。笑   結局ベトナムで契約は出来なかったですね。  でも、そこで初めて知ったんですよね、こういう「プロの世界もあるんだな」って。ショボめの。ベトナムだってACLには出られるし。

ミノ: 若いうちから既に奇想天外って感じだね。マルの経験値は高いし、話にも説得力があるのはうなずけるよね。怪我とかはなかったの?

 

マル: ベトナムのトライアル終わってからは、ちょっとしてから全国セレクションの旅に回ってたんですよ。その途中で靭帯切って丸2年くらいはサッカー出来なくて、切なくなって鹿児島に2ヶ月くらい放浪したりしましたね。全くサッカーとは関係ない旅です。笑  怪我治ってから今度はタイに行きました。5ヶ月はいましたね。その時はトライアル期間が終わってたんで、チームには入れなかったんですけど、タイのサッカーならいける!って確信が持てたんですよ。だから日本に戻ってからトレーニングしたんですよね。そしたら途中でスリランカに行くって話が出てきて。チームと契約出来て4ヶ月はスリランカでプレーしてたんですよ。その期間はデカイ家も提供されたし、家の遣いの人間がメシ持ってきたりしてて。結構良い生活はしてたんですけど、でも当時の俺の目標はインドでプレーすることだったんですよ。スリランカの隣だったしインドはスポーツが盛んだし、そこからタイにサッカーしに行くっていう道筋はありました。  でも、その時にテレビで「海外に挑戦する小さな日本人達」みたいな番組を見てて、みんなカッコよくてそれに影響されて。俺はヨーロッパにいったんですよいきなり。最初はフランス行って、そこからモンテネグロ行ってセルビア行ってポーランド行ってラトビア行ってリトアニア行って。それでそのサッカー旅の途中で詐欺に遭うんですよね。笑

ミノ: リトアニアの時だったよね?ブログ読ませてもらったよ。笑

マル: そこから一世風靡しましたね。笑  色んな人から励まされて叩かれて。笑 とりあえずリトアニアで這いつくばって頑張りましたね。でも結局そこから先には繋がらなくて、試行錯誤して、でこの前スペイン行ってきたんですよね。カテゴリーはスペイン2部のBかな? スリランカでやってた奴がいきなりスペイン2部にチャレンジですよ。しかもアトレチコマドリーの寮に住ませてもらってて。寮生から「お前もアトレチコの一員だぞ!」って言われて。ビビってました。笑  アルゼンチンから来てる寮生に「おいマル、お前何歳だ?俺は18だけど」って言われて。そいつめちゃゴツいんですよ。だから俺「21だけど~」ってサバ読みました。本当は24ですけど。笑   もう見た目から違いますよね。動物の世界ですよ。「こいつ、強い。弱い。」みたいな。

ミノ: 凄まじいね。ヨーロッパの話は聞ける機会少ないし、マルだからこそ出来る話だよね。クレイジージャーニーに出てほしいね!

中編へ続く…

とにかく長い長い。けどリピートでこういった話を聞けるのも僕の特権、面白いですね。

第二弾はかなり長くなるので今後は分けて更新していきます。次回もなるべく早くアップ出来るように勤めますので、暖かい目で見守ってください。笑


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