美濃村慶太

メンタルコントロール。vol.1

 

こんばんわ。

昨日のブログに書いた通り、今回は僕が考える「メンタルコントロール」についてのお話をさせていただきます。全てあくまで僕の持論です。
まずそもそも何故メンタルコントロールをする必要があるのか。

というところなんですけど、僕がいつも頭に入れているのは

「自分の身に降りかかる事柄に対して、”なるべく” ポジティブでいられるように」するためにメンタルコントロールをしています。

この “なるべく” っていうのが結構重要で。
やっぱり人間生きてれば、どうしても嫌なことがあってしかもそれを自分だけで解決出来ないモノもあるんです。人生はそんなことの連続だと思ってます。

そういうモノに対して、無理にポジティブになると返って今後やりにくくなったり、例えば同じような問題を再度抱えた時にトラウマとなる可能性もあるでしょう。
だから “なるべく” ポジティブに。という状態を作っています。

僕が目指す最高のメンタルコントロールには
「ちょうどいい、適度なポジティブさ」が必要なんです。

じゃあどうしてるかっていったら、
「しょうがない。」と割り切ること。そして
「アンラッキーだったな。」という楽観的思考。

これら繰り返し行います。
もちろん何でもかんでもではなくです。
楽観的思考とポジティブは似ているようで実は違います。

僕の中では、ポジティブは
「 “常に物事を” 前向きに捉えること」

楽観的思考は
「自分が “無駄かもしれない” と思うモノを排除すること」

という位置付けをしています。

「ちょうどいい適度なポジティブさ」は、この二つの要素で上手いことバランスを取ることによって形成されます。
なぜ楽観的思考に “無駄かもしれない” という表現をしているかというと、その自分が取った行動が無駄かどうかっていうのはその時点では100パーセントはわからないし、さらに言うと、その行動を「あれは無駄じゃなかった」にすることが出来るからです。

全部をそれに変換することは出来ないでしょうね。きっと。
けど基本的に自分が取った行動に無駄なことはありません。それは確実に何かに繋がっている。自分に取って良い方向に繋がっている場合もあれば、悪い方へ行ってしまう場合も然り。

自分がある程度歳を重ねれば、ある程度はわかるはずなんです。
それが良い方向に進むのか、そのまた逆なのかは。
ただ、それが「正しいかどうか」まではわからないはずです。
それを決める材料が結果だったりするわけで。

例えば、僕はオーストラリアの永住権を取るという目標があるなかで、絶対的に英会話能力も読解力も必要になってきます。にもかかわらずこの状況でもこうして「日本語」で長文記事を、さらに英語には関係ないことを綴っているわけです。
もしかしたらこの記事を書いてるくらいなら英語力を上げるための行動をした方がいいかもしれませんよね。

だけど、今こうして自分が感じていることを書きあげることが “無駄” と感じてはいないです。だからこうして書いているわけですが…
要は何をもって判断しているかですよね。無駄なのか無駄じゃないかを。
僕はいつも「今から取る行動を、 “それが何かに繋がる” と信じた上で取れる行動かどうか。」
で決めていると”思います”。
言い切らずに “思います” にしたのは、まだ自分が何も成し遂げていないからです。
確信を持ってそれを言うにはまだ時間も回数も足りていなくて、結果にも反映されていないからです。

このブログも、自分が “無駄ではない” と信じた上で書いています。
何かに繋がると信じて。というよりも、自分の中で何に繋がるのかもある程度は予測しているし、それに繋げていくことが出来ると思っているから選んでいる行動でもあります。
僕の人生の基盤は、やはりサッカーによって構築されています。

特にチームスポーツであるサッカーにおいて、「チーム力」というものは欠かせません。

僕が描く理想のチーム力っていうのは
「それぞれが判断して取った行動がチームの勝利に繋がっていること。」です。

” One for All. All for One ”

ほとんどの人が聞いたことある言葉ですね。

意味は
「1人はみんなのために。みんなは1人のために。」ですね。

これは凄く大事なことだと思います。
サッカー、スポーツ界だけでなく生きてく上で大事なことかもしれません。

もちろん真面目な監督によって構成されている真面目なウチのチームはこの言葉も度々聞きますし、選手たちからもこの色が滲み出ています。
だけど、この「チームのために。」という思いが強いことも実は危険だったりします。

「自分は何をしたいのか」という主体性が薄れていく可能性があるからです。

結論を言うと、
「 “自分のために取った行動” が “チームのため” に繋がっていればいい」わけです。
今シーズンの第2節でそれを改めて感じるシーンがありました。
僕らが自陣に攻め込まれているワンシーンです。

状況をなるべくわかりやすく説明します。

まず相手のキーマンであるリッキーという選手がウチの左サイドの裏に抜けてウチのセンターバックと一対一になりました。
僕も当然後追いで守備に回りました。僕の中では二つの選択肢があり

「一対一の状況から挟み込んでボールを奪いにいくか」
「そこはまかせて手薄なゴール前の守備へ回るか」
でした。

一対一で抜かれるセンターバック。そのボールをクロスでゴール前まで運ばれます。
一旦他のディフェンダーがクリアしたものの、不十分でまだペナルティエリア内にボールは転がっていました。再度相手に渡った時、ウチのGKはゴールマウスに戻れておらずニアサイドの半分がガラ空き状態。
後者を取った僕が間一髪で身体を投げ出し、膝でブロックしてコーナーへ逃れました。

実はこの後、一対一で競り負けたセンターバックに

「なんでヘルプに来なかったんだ。」と言われたんです。
確かに自分の中でヘルプのために挟み込むという選択肢はありました。

だけど僕はそのディフェンダーがリッキーのスピードを遅らせてくれると信じた上では後者を取ったんです。
競り負けはしたものの、僕がゴール前まで戻る時間を十分に与えてくれたんです。
同時に「ゴール前に行った方がいい」と自分の中で判断した。
むしろ挟み込みにいって2人交わされる可能性の方が、この時間帯では高い。
リッキーという選手はこの局面を打開する能力を持った選手だと認知していました。

そして、結果的にゴールされずに済んだわけです。

なぜヘルプに来なかったと言われても、謝りはしませんでした。

ただ、もしかしたら
ヘルプにいってボールそこで奪えたら逆に、自分たちがショートカウンターで攻め込むことができ、ゴールを奪えたらのかもしれません。その得点で勝てた可能性もあります。
それは僕が前者の判断をしなかったのでわかりません。

だけど、信じて取った行動が自分の中で良い方向に捉えられるものだったとしたらそれは良いことです。ポジティブに捉えていい。
「味方に不満は与えたかもしれないけど、自分で判断したものが少なからずチームのためになった。」
そのくらいの事実の方がいいんです。シーズンを戦う上では。

僕が日本でプレーしていた時は、何度も自問自答しました。
「これってチームのためになってるのか。」と。

けどそうじゃない。その考えも悪くはない。

もっと重要なのは自分が何を信じるか、何をしたいのか。

まずは自分を信じて行動してみる。
それがチームのためになっているのかどうかは後で決めればいい。

そこに気づきました。

もしかしたら、そういう性質しかもたない選手たちの集まりではチームとして上手くまとまらないかもしれません。
でもこういう人材は絶対的に必要です。主体性を持つことはそれほど重要です。
楽観的思考の一例を出すためにこれだけの長文になってしまいました。笑
その一瞬の場面でいちいち「今から取る行動を、 “それが何かに繋がる” と信じた上で取れる行動かどうか。」は、もちろん考えてはいないでしょう。

ですが、本能的にそういった判断をしたということは
普段からそういう行動を取れていることなのかな。と感じています。

ポジティブでいることの本質はこういうことなのかなって。
少なくとも僕の概念はこれらであり、僕にとってのメンタルコントロールの基盤です。
「言葉や建前だけでなく、行動しなさい。」という内容を持った名言や格言は多く存在しているけど、その本質はこれなんじゃないかと踏んでおります。

長々と失礼しました。
ですが実はもう一つあるんです。メンタルコントロールをするにあたって重要なことが。
だけどこれはメンタル云々以前の問題提起のようなモノになります。

そしてそれも次回のブログで書きたいと思います。
ありがとうございました。

see u next…

 

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美濃村慶太


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